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映画「ルパン三世 VS 名探偵コナン」

2013 年 12 月 8 日

だいぶ久しぶりの「コナン映画」
初めての「ルパン映画」

かなり昔にコナン映画を見たときに、建物が燃え上がるシーンの炎の書き方が
CGっぽ過ぎて違和感アリアリで「なんだこりゃ」って突っ込んでたのを覚えてるが。

前作の競演はテレビスペシャルで今回は2回目。
その間にルパン側は声優の入れ替えがあった(後述)

時間軸の設定としては、前回の競演の後の話になる。
なので、コナンとルパンも互いを知ってるし、どんな思考をするかも想定できている。
だからこそ阿吽の呼吸で掛け合いが成立している。
話の核心も、前回の話の中にある。

今回は次元とコナンの掛け合いが結構長い。というか、かなり重要な部分を占めてる。
これはこれで面白い。

二つの異なる世界観のキャラクタを無理なくどちらかの世界になじませるという手法は
かなり気をつかうのと同時に、両方を深く理解して思い入れがなければうまく行かない。
それを前回、今回と見事に融合している。そういう才能はすばらしい。
出来上がったものもハンパなく描ききれている。

これほどうまくいくのも分からなくもない。

設定がまず、大人vs子供であることで、
「子供や弱い者には優しくあらねばならない」というルパン側の美学、「大人の余裕」が描ける。
子供はそれに対して無邪気に振舞う。これは凄く親和性がいい。
さらには「流血の事態になっても人が死なない、死んでも必要最小限」という共通のルールがある。

ルパンの世界観というのは実は古くて現代的ではない。
それを一気に現代化をしようと思ったら。
さらには、声優陣が更新され、声が変わってしまったという違和感をなくすには?

今回の映画で印象的だったのは、「子供探偵団」がアジトを突き止め、石川五右衛門と対峙しているシーン。
次元と五右衛門が携帯電話で連絡を取って、「こいつらどうしたらいいんだ?」と五右衛門が次元に相談している。
一見なんでもないシーンだがルパンの世界観であれば違和感のある話。
ルパンとその仲間が、各個を結びつける、ともすれば縛りつける道具を互いに持ち、連絡を取り合うか?

逆に、ルパンの世界観では互いを理解してることで阿吽の呼吸を生み物事を進める、それを描くことで物語にしている。
それが携帯電話で常に連絡取れる状態だったら、なんのスリルも生まれないだろう。

ルパンたちをコナンの「ほぼ現実と変わらない」世界設定に引き込むことで、違和感無く描いている。

それと、ルパン側は声優陣が変わっているというのもある。
声が変わってしまったという違和感をなくすには、露出を増やして声を聞かせて、浸透させていくしかない。

この点は先に「攻殻機動隊」のときに書いてしまったが、
実はこの映画を観てて思い至った。
そして「攻殻機動隊」もこのパターンか!と。

声優陣を一新して再度売り込みをかけなきゃならん上に舞台設定含めて現代化をしようと思ったら、
現実と同じ程度の世界設定で分野も被るコナンとコラボするのは、
有る意味正解なのかもしれない。

つまり、前作があれだけ好評だったのだから、という目算と
「やってしまえば既成事実」という開き直り、
後は度胸とタイミングの問題と。

それにしても。
うまくできてるなーと思う。

あと、ルパンのテーマを劇場の音響で聴けたのはよかった。

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