(思うところあって書いてますが余り深く考えてません)
映画はナマモノ
映画って、公開されたときに観ないと、意味がないと思っている。
旬を逃したら、というか、映画館で観ないと、価値がないんだとおもう。
数年後にテレビで一斉配信する頃にはすでに賞味期限が切れてる。
それも、イマドキだとDVD/Blu-rayの発売時期に合わせて、その情報を伝えるためだけに
テレビという媒体で露出してるだけ。
地方出身者なのもあるかもしれないが、
私の地元には映画館はあったのかどうかすらわからない。
小学校の頃に通学路でチケットだか割引券だかを配ってたこともあった気がするが、
それがどこにあるのかすら分からなかったし、そもそも興味もなかった。
都市部以外で言えばそんな状況の中、テレビで配信されるだけマシではあるが、それだってごく一部。
そんな中で上京して、映画館で最初に観たのは、草の根BBSのオフ会で行った「エヴァンゲリオン」の1作目。
小学校の映画鑑賞の時間とは違って、音も映像も格段に違う。
これは圧倒的だった。とはいえどこの館で見たのか思い出せない。確か銀座だったきがするけど。
以降、一応社会人になって一人暮らしをして、仕事をしていく中で、
運よく会社でも映画やアニメ全般に興味がある人と知り合い、休みの日に一緒に映画に行くようになった。
その頃はまだ歌舞伎町の映画館で深夜の先行上映とかもあって、
そのまま呑みに行く or 呑んでから行く パターンだったが。
その後いろいろなことがあって(笑)
自分ひとりで映画館へ入るように(入れるように)なって。
その頃には「楽しむためにお金を使う」ことを覚えたのだとおもう。
これは、「お金の使い方」に対する考え方だと思うけど、
「映画館で映画を観る」ために払う対価¥1800円は、何に対して払っているのかを考えたとき。
私はその「映像」「音響」それらをひっくるめた「時間」と「空間」に¥1800円の価値があると思って払っている。
だからこそ、スタッフロールも終わらないうちに照明をつけるような映画館は許せないし、二度と行きたくないと思う。
エンターテインメント産業って、「個人の余暇時間」という「市場」を非常に多くの競合プレーヤーで奪い合っている。
その中でもうまく行ってるのは、出版(読書)と折り合いをつけている産業だ(だった)。
たとえば、映画業界は雑誌を媒体に広告するし、出版側もそれを受け入れる。単純だけどみごとな共存関係。
アニメも家庭用ゲームもそう。
うまく行かなかったのはボーリング。あれは完全に滅んだ。
あと今はゲームセンターやアーケードゲームをフィーチャーする出版物はほとんどない。これも滅びかけてる。
ただ、時代が変わってその依存度がインターネットへシフトしている。
出版の進化が印刷技術とデリバリーという末端の物理層だけで、そこまでの作業は未だに自動化されないし、
そこまでの手順もなんら進化しないから、インターネットのスピードに勝てない。
ナマモノを扱うにはふさわしくなくなりつつある。
映画業界側だって、インターネットにページを立てた方が、出版へ出すよりも手数は少なく済むし
なにより即効性が違う。
我々は、そういう市場のプレーヤーの中から、「余暇時間を何に使うか」「何にお金を払うか」を決めて、選択している。
「時間をお金で買う」とは、なにもタクシーを捕まえることだけではない。
映画館が提供するのは「その瞬間」でしかない。
ナマモノである以上、賞味期限がくれば売り場からは撤去される。
あとから一斉配信されたとしても、価値はないのだ。
まあ、だからテレビで無料配信なんだろうと。
楽しい時間がプライスレスでもいいけど。
生まれた年に公開された映画はよっぽど運が良くない限り映画館で再演されることはない。
それは運だし、それが未だに繰り返し一斉配信されるほど人気のある作品なら尚のこと。
映画はナマモノだと思うし
映画館で観たいと思う。
ブログ村に「電子工作」で登録してるのに
延々と映画ネタが続くとかオカシイ(笑
どうしてこーなったっっ!!おぃっ
まるで映画しか観てないみたいだが
アニメもちゃんと録画で観てるぞ(黙れ
あけおめも何も、ほっといたら3月ですな。
雪の中で写真撮ったんですが、晴天の都合で白飛びしてたので今年は無しです。
去年は何もしないと決めてたけど、それでも少しは進んではいる・・・ハズ。
まーいづれにせよ、アニメの録画消化に追われている毎日も悪くない気がしてるw
生活がサイクリックになると落ち着く・・・
とある事情で、7月にBD-HDDレコーダを買いまして。
以降、適当に何本か深夜系のアニメを毎週録画しているのですが
それがまた、なんつーかいろいろ面白いというか。
おもってたよりもしっかり作ってる感じがして驚いてるのもあって
ガッツリと消化してるおかげでかなり時間を持ってかれています。
まあ、一時期はかなりヒドイ(話としても、作画としても、商業的手法にも)という話を聞いていて
そもそも深夜帯なんか起きててテレビなんか観てられないので
別に興味もなかったのですが。
そりゃ、テレビ東京が入らない日本海側から東京に出てきたときは
テレビとビデオデッキ買って同日に秋葉原と阿佐ヶ谷を2往復してでも揃えて
さあアニメ観る生活ーとかおもってたが結局何も観ない撮らないそもそも部屋にいないという生活が続いて
気がついたら10数年経っててですね(ry
まあ、叔父の形見でテレビもらってきたのもあって、そろそろ環境が整って
実際時間的にも安定してきたので
・・・・・観始めたらどっぷりだったりして。
まあ、ずいぶんな時間ドロボーって感じですわ・・・・
最近の猫カフェは、結局猫が遊んでくれないので、ほとんど本を読みに行ってるようなものなのですが、
ぅれいの、「魔法少女まどか・マギカ」に関連した本を何冊か読破してみました。
原作のコミックも、スピンオフ作品も。
原作はいいとして、スピンオフ作品がすでに何作かでてる。
まあ、そのうちの2作品を読破してきたんですが。
お話の造りから、一定の仕組みが見えた気がしました。
トリガーは既に居るベテラン魔法少女マミor杏子
そこへ新キャラの魔法少女を絡ませる。
さやか 自体が 魔法少女になるかならないかは、問わない。
ほむら は まどか を守るという名目で さやか、マミ、杏子に介入してくる。
ポイントは ほむら の設定。
彼女にとってはいくつも見てきた時間軸の中のひとつでしかない、という視点。
どんな結末になっても、それは ほむら にとっての 平行世界の中のひとつ の 現象 でしかない。
この設定のおかげで、本編に影響のでない、アナザーワールドが幾らでも生み出せる。
原作の、この設定は実にうまく機能している。この点がこの物語の凄いところであり、面白いところでもある。
この先、うまく運用すれば、いくらでもお話が作れるこのフレームワークは、
まさに エコシステム。
そんな気がしました。
なんつーか。
あっという間に1年放置してしまいましたが。
色々書くべきことはあったりなかったり。
まあ、MakerFaireTokyo2012が終わったら、ボチボチ書きますよ(タブン
先週、「ボーナスの出た御大尽」のお供で初めて、国立競技場へ行きました。
Jリーグの、「赤い人 VS 黄色い人」の試合を見に行ってきました。
国立競技場はどうやら「黄色い人」の本拠地・ホームグランドというやつらしく、
「赤い人」のファンはあからさまに差別を受ける。
そもそも、サッカーの試合自体が、なぜか両チーム対等ではない。
ホームグランドに対し、対戦チームのファンは、「アウェイ」、つまり「よそ者」という扱いを受ける。
この時点で、スポーツとしておかしい。
日本のプロ野球と比べれば分かるだろう。
野球は、誰のグランドを使って試合をしようと、主催者からみたら相手チームは「招待チーム」である。
決してファンを差別せず、対等に扱うだろう。
通路にかかってる札に、「この先アウェイ席」とか書いてる時点でかなりバカにされてる。
試合が始まる前、先発メンバーの発表だって、
アウェイ側はただ名前を表示するだけ。
ホームチームは、全員、監督まで名前の読み上げをする。
試合中、交代するときだって、アウェイ側は何の放送も入らない。
こんな不公平な運営があるものか。
運営自体がこんなだから、ファンは勝てば天狗になり、負けた側はバカにされる。
そういうファンしか存在しなくなる。
結果、他チームのファンとの間でイザコザが起きる。
こんなモラルのないプロスポーツリーグがあるか。
ま、
私はそもそも、サッカーなんか興味ないし、何か報道されるたびに
「バカか、コイツら」と言ってた類なので、正直どうでもいいんですけどね。
起きてしまったことにいつまでも囚われているわけにも行かない。
少なからず人命が失われ、今もなお家も仕事もなく毎日がままならない人々が大勢いるのだから。
こうして毎日を無事に過ごせることの意味を、今一度考えるべき時なのだ。
生きて、天寿を全うすることが、今生きている者たちの責任だ。
そんななかで、自ら命を絶つような人も居るが、それは話が別。
私は断固として、そういう者に同情する気はない。
生きることを放棄する人は許せない。
それは、これまで歴史の中で繰り返されてきた戦争や争いで命を落とした人たちを想えば当然である。
彼らの犠牲がなければ今の世の中はありえないのだから。
生きることを放棄するのは、彼らに対する裏切り行為だ。
これまで生きてきて、自分の周りにも何人か居たけど。
どんなに苦しかったとしても、許せない。
とにかく。
われわれはまだ生きているのだから。
この先の世界、世代へ命を繋ぐ責任がある。
落ち込んでなどいられないのだ。
3月10日、午後2時過ぎ。
長い揺れに続き、突き上げるような強い揺れ。
会社にいた私は、揺れが続いた時点で出入り口の扉を開いて抑えていた。
そして強い揺れ。目の前で棚の上からファイル類が落ち、
非常口の扉が閉まるのを開けるよう叫んだ。
一度、揺れが収まっても、その後震源地の近い地震が何度か発生。
そのたびに非常口から屋上へ出る。
Twitterやワンセグですぐに情報を入手するのは。。。ホンの数人。
この会社の問題点のひとつだが、このときはみな、気象庁や速報サイトを見ながら
仕事が手につかない。さらに言うなら、非常時のためのラジオのひとつも置いてない。
あまりにも揺れが続き、Twittert上で仙台駅ホームや舞浜駅前の写真が流れ始めたころ、
やっと私は、またしても大変なことが起きたんだと認識した。
食堂のテレビで震度7、震源は東北、と知る。
そして、津波。
陽の高いうちの地震の割に、情報が乏しい。
政府からは何も言ってこない。こんなときに政治家はなりを潜める。
NHKは即座に特番に切り替わる。
午後4時を過ぎたころだろうか、津波に飲み込まれる街の映像が流れ始めた。
これは、もう。
言葉がない。
鉄道各社は即座に運転見合わせ。
それでも19時過ぎごろにはいくらかは運転再開の情報。
その中で、JRが当日中の復旧を不可と発表。
その日は、会社に泊まる人が何人か居た。
泊まっても構わなかったが、赤羽くんだりの人間が泊まったんじゃ申し訳ないので
歩いて帰ることにした。
そして週末。
福島の原子力発電所が大変なことになっている。
コンビナートが延々燃えている。
石油が足りない。ガソリンも足りない。
発電量が下がると停電せざるを得ない。
次々入ってくるニュースは、どれも目を疑うものばかり。
そして範囲が広すぎて、情報網が機能していない。
政府の対応はこれまでになく未熟でお粗末な限り。
もう、何もする気が起きない。
何を、どう受け止めればいいのかもわからない。
ここに書くためのまとまった時間と気力がないので、かなり浦島なのですが
イベント的なことは特段ないので、問題ないかと。
そろそろMTM06の前に作ってたものと、その後作ってるものをまとめておきたい。
何もかもが現在進行形なもので、何をどうまとめるかも難しいのですが。
なので、おもいきっり後回しフラグなわけですww