これについては、うっかり、何かの間違いで・・・・(笑
とうとう誰かがやらかしてしまったようです。
あの有名アニメと同名の原作の実写化。
いや。
某有名アニメは、あの監督のお得意な「名前と設定だけつかってぜんぜん違う話」ってところで
大ヒットしてるだけで、原作者的には不満タラタラという話だったか。
まあ、この映画の問題点はそんなところじゃない。
いうなれば「ハリウッドがストリートファイターを実写化!!」ぐらいのヤバさ。
あのVFXは無いでしょって感じのビジュアル。
笑えない上に感動もなにもないストーリー。
ネームバリューだけで映画作ってる感じ。
ホント、冗談だと思いたい。
近年稀にみる誰得映画だわ・・・
(思うところあって書いてますが余り深く考えてません)
映画はナマモノ
映画って、公開されたときに観ないと、意味がないと思っている。
旬を逃したら、というか、映画館で観ないと、価値がないんだとおもう。
数年後にテレビで一斉配信する頃にはすでに賞味期限が切れてる。
それも、イマドキだとDVD/Blu-rayの発売時期に合わせて、その情報を伝えるためだけに
テレビという媒体で露出してるだけ。
地方出身者なのもあるかもしれないが、
私の地元には映画館はあったのかどうかすらわからない。
小学校の頃に通学路でチケットだか割引券だかを配ってたこともあった気がするが、
それがどこにあるのかすら分からなかったし、そもそも興味もなかった。
都市部以外で言えばそんな状況の中、テレビで配信されるだけマシではあるが、それだってごく一部。
そんな中で上京して、映画館で最初に観たのは、草の根BBSのオフ会で行った「エヴァンゲリオン」の1作目。
小学校の映画鑑賞の時間とは違って、音も映像も格段に違う。
これは圧倒的だった。とはいえどこの館で見たのか思い出せない。確か銀座だったきがするけど。
以降、一応社会人になって一人暮らしをして、仕事をしていく中で、
運よく会社でも映画やアニメ全般に興味がある人と知り合い、休みの日に一緒に映画に行くようになった。
その頃はまだ歌舞伎町の映画館で深夜の先行上映とかもあって、
そのまま呑みに行く or 呑んでから行く パターンだったが。
その後いろいろなことがあって(笑)
自分ひとりで映画館へ入るように(入れるように)なって。
その頃には「楽しむためにお金を使う」ことを覚えたのだとおもう。
これは、「お金の使い方」に対する考え方だと思うけど、
「映画館で映画を観る」ために払う対価¥1800円は、何に対して払っているのかを考えたとき。
私はその「映像」「音響」それらをひっくるめた「時間」と「空間」に¥1800円の価値があると思って払っている。
だからこそ、スタッフロールも終わらないうちに照明をつけるような映画館は許せないし、二度と行きたくないと思う。
エンターテインメント産業って、「個人の余暇時間」という「市場」を非常に多くの競合プレーヤーで奪い合っている。
その中でもうまく行ってるのは、出版(読書)と折り合いをつけている産業だ(だった)。
たとえば、映画業界は雑誌を媒体に広告するし、出版側もそれを受け入れる。単純だけどみごとな共存関係。
アニメも家庭用ゲームもそう。
うまく行かなかったのはボーリング。あれは完全に滅んだ。
あと今はゲームセンターやアーケードゲームをフィーチャーする出版物はほとんどない。これも滅びかけてる。
ただ、時代が変わってその依存度がインターネットへシフトしている。
出版の進化が印刷技術とデリバリーという末端の物理層だけで、そこまでの作業は未だに自動化されないし、
そこまでの手順もなんら進化しないから、インターネットのスピードに勝てない。
ナマモノを扱うにはふさわしくなくなりつつある。
映画業界側だって、インターネットにページを立てた方が、出版へ出すよりも手数は少なく済むし
なにより即効性が違う。
我々は、そういう市場のプレーヤーの中から、「余暇時間を何に使うか」「何にお金を払うか」を決めて、選択している。
「時間をお金で買う」とは、なにもタクシーを捕まえることだけではない。
映画館が提供するのは「その瞬間」でしかない。
ナマモノである以上、賞味期限がくれば売り場からは撤去される。
あとから一斉配信されたとしても、価値はないのだ。
まあ、だからテレビで無料配信なんだろうと。
楽しい時間がプライスレスでもいいけど。
生まれた年に公開された映画はよっぽど運が良くない限り映画館で再演されることはない。
それは運だし、それが未だに繰り返し一斉配信されるほど人気のある作品なら尚のこと。
映画はナマモノだと思うし
映画館で観たいと思う。
もう完全にシャレと勢いですな。
事前情報なし、テレビ版なんか知らん状態で行って来た。
原作がちゃんとあるし、テレビ版の実績があればこそなんだろうけど。登場人物多すぎでちょっと大変な感じ。
ストーリー的には少年「彼方」が偉大すぎる功績を残した父親への思いを
漠然としたものから確信に換えて、最後は自分で道を選ぶという成長物語。
・・・父親が凄くてその息子がそれにコンプレクスを持ってるって設定はもう、
某エヴァ以降このへんの成長物語の定番なんですかね。。。
お話は一本道だけど、端折ってるのか何なのか分からないスピード感(笑)はあった気がする。
ピンチになってもすぐ切り抜けちゃうし、クライマックスがちょっと急展開過ぎてなんだかなーって。
そこまでの溜めの時間というより状況説明が長すぎる感じもする。
けど、無駄な話はほとんどないんだよね。
よくまとまってると思う。
本当はもう一回観たかったんだけど時間がなくて断念。
あーもう。
この辺は完全にシャレですから。ゑゑ。
TVシリーズの(再)放送を見てたついでです。
というか、当のTV版はまだ最終話まで観てないんですけど。
そんなのはたぶんまったく関係ないですね。キャラの性格付けと役割が把握できてれば
すんなり観れる。
お話の造りもまあ、悪くない。合宿部分がちょっと中だるみな気がしたのと
その後の展開がもたもたしすぎてる感があるけど。
あと、12人+αは多すぎ。
ブログ村に「電子工作」で登録してるのに
延々と映画ネタが続くとかオカシイ(笑
どうしてこーなったっっ!!おぃっ
まるで映画しか観てないみたいだが
アニメもちゃんと録画で観てるぞ(黙れ
年末、12月28日に公開初日とか、やる気あんのか?とか思いながら
2日前にKINEZO覗いたら、公開初日の舞台挨拶回に空きがあって(爆
まあ、めったにないことなので行くだけ行って来たわ。
これって1年も前に劇場版「魔法少女まどかマギカ」が華やかなりし頃に特報が流れてた奴だけど
いつのまにか「呪い屋姉妹」とかいう設定になってた。
特報見た限りではもうちょっとほのぼのしたとこ狙ってたのかと思ったらそうでもなかった。
見た目がロリっぽかったけど結局劇中は7頭身ぐらいの設定年齢10歳ぐらいの外観になってるんだけど
まあ、あの初見の時点でいくらか観る人そぎ落としちゃってる感はあるね。
「魔法少女の次は魔法幼女かよ」って。
で、舞台挨拶って進行役に向かって答えるんですか??
しゃべるひとが客席(観客)じゃなく進行役の質問者を向いて答えてるってのはどういうことなんだろう。
それって内輪で立ち話してるのと何も変わんないし、観てるこっちは全然伝わってこないんだけど。
同じステージに進行役置かないで映写室かどっかから進行して質問投げたほうがいいと思うんだけどダメなのかね。
そしたらイヤでも客席見ながら話すでしょ。
まあ、人前に立つ仕事の人たちじゃないのも分かるんだけどね・・・
なんて言うか。。。エンターテイメントなんだから自分らの自己満足じゃダメだとおもうのよ。
まあいい。
でお話の方はというと。
これまた原作があるわけですが、その中からうまいこと構成したんでしょうかね。。。
テンポはよすぎるぐらいで、逆に軽すぎる。
一つ一つのイベントが連鎖的に繋がってくんだけど、そこに重さがないのよ。
もうちょっと何かあってもいいんじゃない??と思った。
さすがに1回では追いきれなくて年明け早々に2回目観て来たんだけど(ぉぃ
やっぱりそう。1回目は何も感じなくても2回目は話の顛末知ってる分、そういうところが気になる。
もちろん、この作中に込められているであろう命題はだいたい分かったんで、
作品としては及第点ですよ。
単にスポンサーシップで脇固めてるところの力がちょっと足りて無くて
年末のあんな時期に公開で期間も年末年始挟んで2週間程度じゃちょっとブレイクはしないよなーと。
お話はよいので、ちょっともったいないかな。
そんなところか。
あけおめも何も、ほっといたら3月ですな。
雪の中で写真撮ったんですが、晴天の都合で白飛びしてたので今年は無しです。
去年は何もしないと決めてたけど、それでも少しは進んではいる・・・ハズ。
まーいづれにせよ、アニメの録画消化に追われている毎日も悪くない気がしてるw
生活がサイクリックになると落ち着く・・・
だいぶ久しぶりの「コナン映画」
初めての「ルパン映画」
かなり昔にコナン映画を見たときに、建物が燃え上がるシーンの炎の書き方が
CGっぽ過ぎて違和感アリアリで「なんだこりゃ」って突っ込んでたのを覚えてるが。
前作の競演はテレビスペシャルで今回は2回目。
その間にルパン側は声優の入れ替えがあった(後述)
時間軸の設定としては、前回の競演の後の話になる。
なので、コナンとルパンも互いを知ってるし、どんな思考をするかも想定できている。
だからこそ阿吽の呼吸で掛け合いが成立している。
話の核心も、前回の話の中にある。
今回は次元とコナンの掛け合いが結構長い。というか、かなり重要な部分を占めてる。
これはこれで面白い。
二つの異なる世界観のキャラクタを無理なくどちらかの世界になじませるという手法は
かなり気をつかうのと同時に、両方を深く理解して思い入れがなければうまく行かない。
それを前回、今回と見事に融合している。そういう才能はすばらしい。
出来上がったものもハンパなく描ききれている。
これほどうまくいくのも分からなくもない。
設定がまず、大人vs子供であることで、
「子供や弱い者には優しくあらねばならない」というルパン側の美学、「大人の余裕」が描ける。
子供はそれに対して無邪気に振舞う。これは凄く親和性がいい。
さらには「流血の事態になっても人が死なない、死んでも必要最小限」という共通のルールがある。
ルパンの世界観というのは実は古くて現代的ではない。
それを一気に現代化をしようと思ったら。
さらには、声優陣が更新され、声が変わってしまったという違和感をなくすには?
今回の映画で印象的だったのは、「子供探偵団」がアジトを突き止め、石川五右衛門と対峙しているシーン。
次元と五右衛門が携帯電話で連絡を取って、「こいつらどうしたらいいんだ?」と五右衛門が次元に相談している。
一見なんでもないシーンだがルパンの世界観であれば違和感のある話。
ルパンとその仲間が、各個を結びつける、ともすれば縛りつける道具を互いに持ち、連絡を取り合うか?
逆に、ルパンの世界観では互いを理解してることで阿吽の呼吸を生み物事を進める、それを描くことで物語にしている。
それが携帯電話で常に連絡取れる状態だったら、なんのスリルも生まれないだろう。
ルパンたちをコナンの「ほぼ現実と変わらない」世界設定に引き込むことで、違和感無く描いている。
それと、ルパン側は声優陣が変わっているというのもある。
声が変わってしまったという違和感をなくすには、露出を増やして声を聞かせて、浸透させていくしかない。
この点は先に「攻殻機動隊」のときに書いてしまったが、
実はこの映画を観てて思い至った。
そして「攻殻機動隊」もこのパターンか!と。
声優陣を一新して再度売り込みをかけなきゃならん上に舞台設定含めて現代化をしようと思ったら、
現実と同じ程度の世界設定で分野も被るコナンとコラボするのは、
有る意味正解なのかもしれない。
つまり、前作があれだけ好評だったのだから、という目算と
「やってしまえば既成事実」という開き直り、
後は度胸とタイミングの問題と。
それにしても。
うまくできてるなーと思う。
あと、ルパンのテーマを劇場の音響で聴けたのはよかった。
この辺は完全に勢いで観にいってるだけですが。
6月に公開されたときも観にいってますが記事書いてなかったみたいですね。
なんつーか。
3月に大々的にプロモーションしてブチ上げた割に1回の上映時間が1時間しかないとか
ものすごくボリュームが無くて残念な印象。
話を観てても物足りない。
下手すればテレビで3話分の話をわざわざ映画館で観てるだけ。
(逆に言えば、テレビ版1話の情報量がハンパ無いんだけど)
映像的にも話的にも面白いのはわかるし、ちゃんとキリのいいところで終わってるんだけど。
そもそも映像技術を楽しむ作品だとすれば
「このくらいの動きの映画はもう昨今ならザラにあるよね?」という感想もアリなわけで。
それとも、声優が変わったのを嘆きながら新しい声に慣れるための映画なのか。
まあ、数少ない続編ものの一つだけど。
よく考えると、どの作品も声優陣の入れ替えが必要な頃合という現実がある。
世界設定を少し変えて、声優陣を一新して、これまでのファンを失わないようにしながら
話題を振りまいて新しい世代のファンを生まなければならない。
だから今、「公安9課設立の物語」なのか。
年齢設定を若返らせれば声が多少違っても許される。
そして回数を重ねることで浸透させる。
そういう時期に必要な作品と手法なのだと。
なぜか今、思い至ったわww
公開初日に観て来ました。
まあ、そのこと自体に意味はないのですが。
高畑監督は漢になれたのでしょうか(笑
「となりの山田くん」以来、名前をとんと見かけなかったのですが。
そもそも、カネも時間も掛かる監督なのに、それを承知で「映画作りましょう」と口説きにいく輩が
居るというのだから驚く。
当時の日本テレビ会長、氏家斎一郎氏が「カネはすべて俺が出す」ぐらいの勢いでパトロンとなり、
企画が決まったのは2005年の事らしい。
しかし、この映画。
完成を観ずに氏家氏は2011年に故人となっている。
そして、声優として参加した 地井武男氏もまた、完成の前に亡くなっている。
プレスコという手法で、先に声を収録し、それに合わせて絵をつけるという方法が採られていることが幸いし、
竹取の翁というきわめて重要な役回りの声として作品に参加している。
さて。そんな時間軸の中で遅れに遅れ、
「同時公開という鞭」を打つという「賭け」にでたプロデューサたちはその賭けに負けたわけですが。
出来上がったものはどうなのか。
今回も、絵的なタッチは「となりの山田くん」と似たように奇を衒った絵面に見える。
またもや監督の自己満足かと思いきや、これを徹底的に貫いていることと、その色彩の微妙なマッチングが
取れていて、きちんと効果的に利いている。(ときどき、「絵コンテかこれ?」と思うこともあるが)
シナリオは、「となりの山田くん」のような筋のはっきりしない散漫としたものではなく、
「竹取物語」という古典を大筋とし、そこへ監督の40年近く前から抱き続けていた物語への洞察を加えたことにより
申し分の無い内容になっている。この洞察は結構説得力がある。
実際問題、「竹取物語」を古典で全部読んだこともないし、
せいぜい知ってるのは冒頭の部分だけ、という観客にしてみれば
今回の出来栄えは文句のない、よくまとまったお話ではある。
プログラムの中に書いてあることを抜き出すなら、手法は「アルプスの少女ハイジ」であり、
そこへかぐや姫の感情を丁寧に描くことで「日本版ハイジ」を目指し実現したとの事。
もうひとつ。
劇中歌で何度か出てくる「わらべ唄」は、旧き時代の日本の野山を思い出させる。
この詩に出会えただけでも、観にいった甲斐があるというもの。
非常に美しい詩。声もいい。
総じて、今回の作品は充分に楽しめるものになっている。
「ぽんぽこ」や「山田くん」のようになんだか分からない終わりではなく、きちんと描ききっている。
高畑監督の何がいいのかは、正直わからないのだが。
後輩である宮崎駿は引退を宣言した。
それよりも年上の高畑監督に、次を作らせようというツワモノは居るのかw
それはそれで気になる点ではある。
そんなところで。
2回目を観に行くべき映画だ。