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かぐや姫の物語

2013 年 11 月 24 日

公開初日に観て来ました。
まあ、そのこと自体に意味はないのですが。

高畑監督は漢になれたのでしょうか(笑

「となりの山田くん」以来、名前をとんと見かけなかったのですが。

そもそも、カネも時間も掛かる監督なのに、それを承知で「映画作りましょう」と口説きにいく輩が
居るというのだから驚く。
当時の日本テレビ会長、氏家斎一郎氏が「カネはすべて俺が出す」ぐらいの勢いでパトロンとなり、
企画が決まったのは2005年の事らしい。

しかし、この映画。
完成を観ずに氏家氏は2011年に故人となっている。

そして、声優として参加した 地井武男氏もまた、完成の前に亡くなっている。

プレスコという手法で、先に声を収録し、それに合わせて絵をつけるという方法が採られていることが幸いし、
竹取の翁というきわめて重要な役回りの声として作品に参加している。

さて。そんな時間軸の中で遅れに遅れ、
「同時公開という鞭」を打つという「賭け」にでたプロデューサたちはその賭けに負けたわけですが。
出来上がったものはどうなのか。

今回も、絵的なタッチは「となりの山田くん」と似たように奇を衒った絵面に見える。
またもや監督の自己満足かと思いきや、これを徹底的に貫いていることと、その色彩の微妙なマッチングが
取れていて、きちんと効果的に利いている。(ときどき、「絵コンテかこれ?」と思うこともあるが)

シナリオは、「となりの山田くん」のような筋のはっきりしない散漫としたものではなく、
「竹取物語」という古典を大筋とし、そこへ監督の40年近く前から抱き続けていた物語への洞察を加えたことにより
申し分の無い内容になっている。この洞察は結構説得力がある。

実際問題、「竹取物語」を古典で全部読んだこともないし、
せいぜい知ってるのは冒頭の部分だけ、という観客にしてみれば
今回の出来栄えは文句のない、よくまとまったお話ではある。

プログラムの中に書いてあることを抜き出すなら、手法は「アルプスの少女ハイジ」であり、
そこへかぐや姫の感情を丁寧に描くことで「日本版ハイジ」を目指し実現したとの事。

もうひとつ。
劇中歌で何度か出てくる「わらべ唄」は、旧き時代の日本の野山を思い出させる。
この詩に出会えただけでも、観にいった甲斐があるというもの。
非常に美しい詩。声もいい。

総じて、今回の作品は充分に楽しめるものになっている。
「ぽんぽこ」や「山田くん」のようになんだか分からない終わりではなく、きちんと描ききっている。

高畑監督の何がいいのかは、正直わからないのだが。
後輩である宮崎駿は引退を宣言した。
それよりも年上の高畑監督に、次を作らせようというツワモノは居るのかw
それはそれで気になる点ではある。

そんなところで。
2回目を観に行くべき映画だ。

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