これについては、うっかり、何かの間違いで・・・・(笑
とうとう誰かがやらかしてしまったようです。
あの有名アニメと同名の原作の実写化。
いや。
某有名アニメは、あの監督のお得意な「名前と設定だけつかってぜんぜん違う話」ってところで
大ヒットしてるだけで、原作者的には不満タラタラという話だったか。
まあ、この映画の問題点はそんなところじゃない。
いうなれば「ハリウッドがストリートファイターを実写化!!」ぐらいのヤバさ。
あのVFXは無いでしょって感じのビジュアル。
笑えない上に感動もなにもないストーリー。
ネームバリューだけで映画作ってる感じ。
ホント、冗談だと思いたい。
近年稀にみる誰得映画だわ・・・
もう完全にシャレと勢いですな。
事前情報なし、テレビ版なんか知らん状態で行って来た。
原作がちゃんとあるし、テレビ版の実績があればこそなんだろうけど。登場人物多すぎでちょっと大変な感じ。
ストーリー的には少年「彼方」が偉大すぎる功績を残した父親への思いを
漠然としたものから確信に換えて、最後は自分で道を選ぶという成長物語。
・・・父親が凄くてその息子がそれにコンプレクスを持ってるって設定はもう、
某エヴァ以降このへんの成長物語の定番なんですかね。。。
お話は一本道だけど、端折ってるのか何なのか分からないスピード感(笑)はあった気がする。
ピンチになってもすぐ切り抜けちゃうし、クライマックスがちょっと急展開過ぎてなんだかなーって。
そこまでの溜めの時間というより状況説明が長すぎる感じもする。
けど、無駄な話はほとんどないんだよね。
よくまとまってると思う。
本当はもう一回観たかったんだけど時間がなくて断念。
あーもう。
この辺は完全にシャレですから。ゑゑ。
TVシリーズの(再)放送を見てたついでです。
というか、当のTV版はまだ最終話まで観てないんですけど。
そんなのはたぶんまったく関係ないですね。キャラの性格付けと役割が把握できてれば
すんなり観れる。
お話の造りもまあ、悪くない。合宿部分がちょっと中だるみな気がしたのと
その後の展開がもたもたしすぎてる感があるけど。
あと、12人+αは多すぎ。
年末、12月28日に公開初日とか、やる気あんのか?とか思いながら
2日前にKINEZO覗いたら、公開初日の舞台挨拶回に空きがあって(爆
まあ、めったにないことなので行くだけ行って来たわ。
これって1年も前に劇場版「魔法少女まどかマギカ」が華やかなりし頃に特報が流れてた奴だけど
いつのまにか「呪い屋姉妹」とかいう設定になってた。
特報見た限りではもうちょっとほのぼのしたとこ狙ってたのかと思ったらそうでもなかった。
見た目がロリっぽかったけど結局劇中は7頭身ぐらいの設定年齢10歳ぐらいの外観になってるんだけど
まあ、あの初見の時点でいくらか観る人そぎ落としちゃってる感はあるね。
「魔法少女の次は魔法幼女かよ」って。
で、舞台挨拶って進行役に向かって答えるんですか??
しゃべるひとが客席(観客)じゃなく進行役の質問者を向いて答えてるってのはどういうことなんだろう。
それって内輪で立ち話してるのと何も変わんないし、観てるこっちは全然伝わってこないんだけど。
同じステージに進行役置かないで映写室かどっかから進行して質問投げたほうがいいと思うんだけどダメなのかね。
そしたらイヤでも客席見ながら話すでしょ。
まあ、人前に立つ仕事の人たちじゃないのも分かるんだけどね・・・
なんて言うか。。。エンターテイメントなんだから自分らの自己満足じゃダメだとおもうのよ。
まあいい。
でお話の方はというと。
これまた原作があるわけですが、その中からうまいこと構成したんでしょうかね。。。
テンポはよすぎるぐらいで、逆に軽すぎる。
一つ一つのイベントが連鎖的に繋がってくんだけど、そこに重さがないのよ。
もうちょっと何かあってもいいんじゃない??と思った。
さすがに1回では追いきれなくて年明け早々に2回目観て来たんだけど(ぉぃ
やっぱりそう。1回目は何も感じなくても2回目は話の顛末知ってる分、そういうところが気になる。
もちろん、この作中に込められているであろう命題はだいたい分かったんで、
作品としては及第点ですよ。
単にスポンサーシップで脇固めてるところの力がちょっと足りて無くて
年末のあんな時期に公開で期間も年末年始挟んで2週間程度じゃちょっとブレイクはしないよなーと。
お話はよいので、ちょっともったいないかな。
そんなところか。
だいぶ久しぶりの「コナン映画」
初めての「ルパン映画」
かなり昔にコナン映画を見たときに、建物が燃え上がるシーンの炎の書き方が
CGっぽ過ぎて違和感アリアリで「なんだこりゃ」って突っ込んでたのを覚えてるが。
前作の競演はテレビスペシャルで今回は2回目。
その間にルパン側は声優の入れ替えがあった(後述)
時間軸の設定としては、前回の競演の後の話になる。
なので、コナンとルパンも互いを知ってるし、どんな思考をするかも想定できている。
だからこそ阿吽の呼吸で掛け合いが成立している。
話の核心も、前回の話の中にある。
今回は次元とコナンの掛け合いが結構長い。というか、かなり重要な部分を占めてる。
これはこれで面白い。
二つの異なる世界観のキャラクタを無理なくどちらかの世界になじませるという手法は
かなり気をつかうのと同時に、両方を深く理解して思い入れがなければうまく行かない。
それを前回、今回と見事に融合している。そういう才能はすばらしい。
出来上がったものもハンパなく描ききれている。
これほどうまくいくのも分からなくもない。
設定がまず、大人vs子供であることで、
「子供や弱い者には優しくあらねばならない」というルパン側の美学、「大人の余裕」が描ける。
子供はそれに対して無邪気に振舞う。これは凄く親和性がいい。
さらには「流血の事態になっても人が死なない、死んでも必要最小限」という共通のルールがある。
ルパンの世界観というのは実は古くて現代的ではない。
それを一気に現代化をしようと思ったら。
さらには、声優陣が更新され、声が変わってしまったという違和感をなくすには?
今回の映画で印象的だったのは、「子供探偵団」がアジトを突き止め、石川五右衛門と対峙しているシーン。
次元と五右衛門が携帯電話で連絡を取って、「こいつらどうしたらいいんだ?」と五右衛門が次元に相談している。
一見なんでもないシーンだがルパンの世界観であれば違和感のある話。
ルパンとその仲間が、各個を結びつける、ともすれば縛りつける道具を互いに持ち、連絡を取り合うか?
逆に、ルパンの世界観では互いを理解してることで阿吽の呼吸を生み物事を進める、それを描くことで物語にしている。
それが携帯電話で常に連絡取れる状態だったら、なんのスリルも生まれないだろう。
ルパンたちをコナンの「ほぼ現実と変わらない」世界設定に引き込むことで、違和感無く描いている。
それと、ルパン側は声優陣が変わっているというのもある。
声が変わってしまったという違和感をなくすには、露出を増やして声を聞かせて、浸透させていくしかない。
この点は先に「攻殻機動隊」のときに書いてしまったが、
実はこの映画を観てて思い至った。
そして「攻殻機動隊」もこのパターンか!と。
声優陣を一新して再度売り込みをかけなきゃならん上に舞台設定含めて現代化をしようと思ったら、
現実と同じ程度の世界設定で分野も被るコナンとコラボするのは、
有る意味正解なのかもしれない。
つまり、前作があれだけ好評だったのだから、という目算と
「やってしまえば既成事実」という開き直り、
後は度胸とタイミングの問題と。
それにしても。
うまくできてるなーと思う。
あと、ルパンのテーマを劇場の音響で聴けたのはよかった。
この辺は完全に勢いで観にいってるだけですが。
6月に公開されたときも観にいってますが記事書いてなかったみたいですね。
なんつーか。
3月に大々的にプロモーションしてブチ上げた割に1回の上映時間が1時間しかないとか
ものすごくボリュームが無くて残念な印象。
話を観てても物足りない。
下手すればテレビで3話分の話をわざわざ映画館で観てるだけ。
(逆に言えば、テレビ版1話の情報量がハンパ無いんだけど)
映像的にも話的にも面白いのはわかるし、ちゃんとキリのいいところで終わってるんだけど。
そもそも映像技術を楽しむ作品だとすれば
「このくらいの動きの映画はもう昨今ならザラにあるよね?」という感想もアリなわけで。
それとも、声優が変わったのを嘆きながら新しい声に慣れるための映画なのか。
まあ、数少ない続編ものの一つだけど。
よく考えると、どの作品も声優陣の入れ替えが必要な頃合という現実がある。
世界設定を少し変えて、声優陣を一新して、これまでのファンを失わないようにしながら
話題を振りまいて新しい世代のファンを生まなければならない。
だから今、「公安9課設立の物語」なのか。
年齢設定を若返らせれば声が多少違っても許される。
そして回数を重ねることで浸透させる。
そういう時期に必要な作品と手法なのだと。
なぜか今、思い至ったわww
公開初日に観て来ました。
まあ、そのこと自体に意味はないのですが。
高畑監督は漢になれたのでしょうか(笑
「となりの山田くん」以来、名前をとんと見かけなかったのですが。
そもそも、カネも時間も掛かる監督なのに、それを承知で「映画作りましょう」と口説きにいく輩が
居るというのだから驚く。
当時の日本テレビ会長、氏家斎一郎氏が「カネはすべて俺が出す」ぐらいの勢いでパトロンとなり、
企画が決まったのは2005年の事らしい。
しかし、この映画。
完成を観ずに氏家氏は2011年に故人となっている。
そして、声優として参加した 地井武男氏もまた、完成の前に亡くなっている。
プレスコという手法で、先に声を収録し、それに合わせて絵をつけるという方法が採られていることが幸いし、
竹取の翁というきわめて重要な役回りの声として作品に参加している。
さて。そんな時間軸の中で遅れに遅れ、
「同時公開という鞭」を打つという「賭け」にでたプロデューサたちはその賭けに負けたわけですが。
出来上がったものはどうなのか。
今回も、絵的なタッチは「となりの山田くん」と似たように奇を衒った絵面に見える。
またもや監督の自己満足かと思いきや、これを徹底的に貫いていることと、その色彩の微妙なマッチングが
取れていて、きちんと効果的に利いている。(ときどき、「絵コンテかこれ?」と思うこともあるが)
シナリオは、「となりの山田くん」のような筋のはっきりしない散漫としたものではなく、
「竹取物語」という古典を大筋とし、そこへ監督の40年近く前から抱き続けていた物語への洞察を加えたことにより
申し分の無い内容になっている。この洞察は結構説得力がある。
実際問題、「竹取物語」を古典で全部読んだこともないし、
せいぜい知ってるのは冒頭の部分だけ、という観客にしてみれば
今回の出来栄えは文句のない、よくまとまったお話ではある。
プログラムの中に書いてあることを抜き出すなら、手法は「アルプスの少女ハイジ」であり、
そこへかぐや姫の感情を丁寧に描くことで「日本版ハイジ」を目指し実現したとの事。
もうひとつ。
劇中歌で何度か出てくる「わらべ唄」は、旧き時代の日本の野山を思い出させる。
この詩に出会えただけでも、観にいった甲斐があるというもの。
非常に美しい詩。声もいい。
総じて、今回の作品は充分に楽しめるものになっている。
「ぽんぽこ」や「山田くん」のようになんだか分からない終わりではなく、きちんと描ききっている。
高畑監督の何がいいのかは、正直わからないのだが。
後輩である宮崎駿は引退を宣言した。
それよりも年上の高畑監督に、次を作らせようというツワモノは居るのかw
それはそれで気になる点ではある。
そんなところで。
2回目を観に行くべき映画だ。
まあ、何も言わなくても観にいきますけど。
初日のうちに行きたいとおもって画策してたんですが、結局新宿は行動可能時間内がすべて埋まってしまったので
ごく近場の川口のMovixへ行ってみました。
10年以上住んでても地元の映画館は初めてでしたが。
だ埼玉珍都心のMovixもそうですが、客が少ないですなwww来場者特典があるような映画はかなり穴場になるんじゃないかしら。
で、初日に観て来ましたとも。
あの難解な物語を一度で理解しろというのもなかなか厳しい。
お話としては分かる気がするし、おもしろいと思うのですよ。
ほむらの声色があからさまに変わっていく感じなんかは、ほむら自身の心が忘れていた何かを思い出す様子なわけで。
前半はほのぼのと魔法少女たちが協力しながら戦う夢のような世界、しかし何かがおかしいと気づくほむら。
その問いを杏子にぶつけ、何かが起きてることを確信。
「わたしはこの手口を知っている」
彼女が知る世界では敵だったはずで今はマミのそばに居る ベベ をまず疑う。
それを発端にマミとの衝突。そこでマミ自身が「何かを忘れている」ことに気づく。
「魔女なんて知らないわ。魔法少女の敵は魔獣。・・・」
同時に。マミとの戦闘の場から連れ出してくれたのが さやか。
彼女は ほむらの記憶をも超越し、この世界で何が起きてるかのすべてを知る存在。
そしてまどかと話をした時、ふと、すべてを悟るほむら。
「こんな簡単なことに気づかなかった」
そして明かされる真実。
後半は説明的な描写になり、かなり単調な絵が続く。
あの結末に至る過程は、一度では追いきれない。
今ここまで書いたのは、たぶんすでに2回観てるからかも。
事前情報はほとんどなく、ただ名前だけで観にいってきた。
お話的には単調な域を出ない。
淡々と起承転結をたどってる感じ。
「ピクサー、なんでつくったし」みたいな感想が見てる最中に出てくるぐらい。
笑えるところ?まったくないね。
どうしたものやらって気分で帰ってきた・・・
エンディングにNGシーンをいれるぐらいの余裕もなかったのかと(違
2年ぶりのジブリ映画。
本題に入る前に、今夏の映画公開は宮崎駿と高畑勲の2枚看板、同時公開予定だった件について。
高畑監督はまあ、いつもどおり公開に間に合いませんごめんなさいって数ヶ月前に言ってるので放っとくとして。
ハヤオ的にはそろそろ自分のタブーとしていた領域までも削ってやらねば作品にならないところに来てる気がします。
彼個人の発言については一部で問題視する向きもあるようですが、今回の映画にはそんな思想微塵も出てこない。
さて。
いつものとおり、映画タイトルと設定や雰囲気だけを借りて中身はまったく別物。
「堀越次郎と堀辰雄に捧ぐ」とはいえ、伝記にもなんにもなりませんし、史実だけを追ったものでもない。
常に、フレームの中心は主人公の「次郎」という、これは非常に地味に、設計者の横顔を描いている。
描き方はかなり考えられていて、「あくまでも飛行機設計者としての次郎」を描くことを徹底している。
これはパンフに載ってた企画趣意からも明らかで、それをブレずに貫く、やはりハヤオはプロだし、
評価される理由だとおもう。
基点は少年の夢「美しい飛行機を造りたい」という部分。イタリアの設計者と夢の中を共有し、みちびきを得るシーンが
何箇所か入る。
「空を飛ぶという夢は、呪われた夢でもある」と、憧れだけを肯定するのではなく、その裏に存在する闇を示唆する。
これをきちんと示唆する大人・先輩というものは大事である。
まあ、この少年の場合、時代背景的に闇の部分しかなかったわけですが。
それがゆへに、場面場面の切り替わりが早く、淡々と進んだ印象。
幼少から青年期、就職して仕事を始めるまでの進み方がかなりテンポよく、ともすれば置いていかれてしまうぐらい。
以降はなんとなく、明確な成功・失敗を語られることなく進む。
それどころか、日本という国がおかれている状況の説明すらない。
確かに軍需産業だが、それを表立って描くことはされない。
それはいくらなんでも、子供向け映画にはふさわしくはないだろう。
そして、大人はついていけても、こどもには分からない描写はいくつも出てくる。
結婚式や初夜のシーンなど、こともには分かるわけもない。
ただ、それを今回は思い切って善しとする判断のもと、この映画は作られているとすれば。
狙い通りのところへ落ちついたと言える。