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2009 年 6 月 25 日 のアーカイブ

師と呼べる人

2009 年 6 月 25 日 Comments off

秋葉原が「電気街」と呼ばれ始めた頃から
その街を構成するのは、間口の小さな店の集まりでした。
そして、そのほとんどは個人商店。

成り立ちの頃から考えると、どの店の店主たちも
そろそろ世代交代か廃業か、という年齢になっています。

今の秋葉原の問題点は、こうした構成要素たる個人商店が
跡継ぎが居ないのと、場所の問題を同時に抱えてること。
駅前の高架下「ラジオセンター」は国鉄私有地の賃貸だし、
その向かいのビル「ラジオ会館」だってかなり老朽化が進む。
「ラジオデパート」は、建物の老朽化と店子が抜け始めていること。

2002年にソフトウェアからハードウェアに転向(回帰?)した頃。

自分で回路図を引き、ユニバーサル基板でそれを具現化することで
場数を自分なりに踏んで行こうと思って
毎週、秋葉原に行くようになっていた。

ひさびさに入ったラジオデパート。
妙に既視感のあった棚と値札。
中学生の頃、親戚に頼み込んで連れてきてもらった時
間違いなく、この店で「抵抗ある?」って聴いた記憶がある・・・でも確証がない。
見て分かるが、IC屋さんである。
こちらが聞きたいことを適切に問えば、知りうる情報を総動員して答えてくれる。
そんな、昔ながらの・・・「私の想像していた」・・・店主に巡り会えた。
その頃の会社で使ってた「HD64180」がショーケースにあるのを見つけたり
EEPROMやSRAMが、Z80が、8086が、8255が・・・そんなレガシーな品揃えに
感動しながら、店主と話をすることを目的に毎週のように通ったのでした。

まず、なによりも人生の先輩である。
自分の考え方や人の考え方についてもいろいろ話した。

最初のCPUの話も。
CPUの設計の話も。
日本の半導体業界の成り立ちも。

初めてQFPの半田付けをしたとき、
うまく行ったのが嬉しくて、わざわざ見せに行ったりもしたし
ユニバーサル基板の配線を束ねるのに「釣り糸でもいい」といって
なぜか引き出しに入ってた釣り糸をもらったり。

いろんな知識や情報を吸収させてもらった。
私にとっては、まさに生き字引。

・・・先に書いた秋葉原の問題点の核は、この「生き字引」たる店主たちが
このまま店先から消えてしまうことに他ならない。
今が、たぶん残された最後の時間だと思う。

そんな日々が何年か続いた頃、だんだんと店にいる時間が
少なくなっていき、代わりに息子さんが店番をしていることが多くなった。

そして今年になってからは、土曜日に行っても店が開いてない。

ゴールデンウィーク明けに行ったら・・・店が引き払ってあった。
ほかの店で聞いたら・・・店主が亡くなったとの事でした。
ずっと、癌を患っていたとかで。
結局、息子さんは店を継がず、畳んでしまったわけですが。

店主と客という関係でしたが
彼から学んだことは少なくなく
これからも、私の考え方や知識に
影響を与え続けるでしょう。
本当は
もっと話を聞きたかった。

私の中の「師と呼べる人」
ありがとう

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